仙台育英など強豪高校からの誘いもあったが、家の目の前にあった相馬高校へ進学。1996年ドラフトで4位指名で読売巨人軍に入団。
本来は右打ちであったが、俊足を活かすためにスイッチヒッター、左打ちなどに挑戦をし一軍に定着する為の努力を重ねていた。若手時代から年俸の半分ほどをトレーナーとの契約につぎ込むなど、野球に対する姿勢は真摯であった。
常勝軍団の中で自らの強みを活かして、一軍でのポジションを確立し、20年間生き抜いた。「代走・鈴木尚広」とコールされるだけで、東京ドームは割れんばかりの大歓声が起こった。試合を左右するキーマンとして、数度の優勝に貢献。通算盗塁成功率も82.9%と当時の日本プロ野球記録を樹立。
引退後は、トレーナー、メンタルトレーニングに関する資格の取得を目指しつつ、野球に留まらず、スポーツの素晴らしさ、奥深さを伝えるコメンテーターとして活動していく。
1978年4月27日福島県相馬市出身。福島県立相馬高等学校
1996年 ドラフトで読売ジャイアンツから4位指名を受け入団。
2016年 現役引退。