日本の宇宙開発の失敗と成功と飛躍を、エンジニア、マネジャ、経営者、顧問。教育者として、世界との協調・競争の中で40年以上に亘り実体験してきたエキスパートです。
宇宙開発には、経営、変革、プロジェクトマネジメント、国際協力、危機管理、イノベーション、発想転換、人材育成、教育、夢実現など、地上の様々な事柄に活かせるテーマがあります。
長年獲得してきた経験・知見と最新状況の分析結果に基づき、受講者の関心領域や年齢層に応じて、価値あるテーマ、元気の出るテーマを選び平易に語ります。
1976年3月 東京大学工学部航空学科卒業
1978年3月 東京大学工学系大学院航空学専攻課程修了(工学修士)
1978年4月 宇宙開発事業団(NASDA)入社[2003年、NASDAはJAXA(宇宙航空研究開発機構)に移行]
1985年~1989年、米国NASA駐在(スペースシャトル計画)
1978年~2011年(職員時代)、主として有人宇宙部門と経営企画部門にて業務
2011年8月~2013年3月 JAXA執行役(担当:宇宙探査プログラム(はやぶさ2、他))
2013年4月~2017年3月 JAXA理事(担当:経営企画、国際関係、産業振興、危機管理、セキュリティ、他)
2017年5月~2020年9月 三菱電機株式会社 宇宙システム事業部 顧問(2年常勤+非常勤)
2019年5月~現在 山浦技術経営士事務所 代表(講演、コンサルティング、執筆など活動)
2008年~現在 筑波大学 客員教授
非常勤講師:東大大学院(2010)、東大工学部(2011、2012)、日大大学院(2019)、信州大学大学院(2021)
2016年~現在 地方科学館名誉館長
「はやぶさ2」は2011年に開発が始まったものの5つの苦難を抱え、探査機の完成すら危ぶまれました。しかし、JAXAは苦難を乗り越え完成させ期限内に打ち上げ、困難な運用を完遂させました。弱小チームを強化しバラバラだった関係者を結束させた変革。変革を指揮した講師が当時の決断とワンチーム構築を語ります。
NASAは2度のスペースシャトル喪失事故、JAXAは2回連続の国産ロケット打上げ失敗という、国家宇宙開発の根幹を揺るがす大失敗を経験しました。米国も日本も、徹底的な原因究明と抜本的な対策措置を行い、宇宙開発を一層強固にして再起を遂げました。当時渦中に身を置いた講師が、日米再起の生の姿を語ります。
20年以上も人が住む宇宙ステーション(ISS)への物資輸送機「こうのとり」。当初NASAが「無謀」と思った「こうのとり」。「このとり」の成功が、実はISSの存続、米国スペースX社の飛躍、「はやぶさ2」の運用成功の根幹なのです。長年JAXAの屋台骨を支えた講師が、日本の戦略力と技術力の本質を語ります。