社会人野球チームの富士製鉄佂石に入社し1967年の都市対抗野球にて優勝候補の日本生命を完封し注目を集める。翌年のドラフト会議で阪急ブレーブスからドラフト1位指名を受け入団。3年目には22勝を挙げ最優秀防御率のタイトルを獲得しエースに成長。1975年から12年連続開幕投手を務め、プロ野球記録となっている。1988年に球団名が阪急ブレーブスからオリックスブルーウエーブに変更となると共に現役引退。現役通算284勝はアンダースロー投手としてはプロ野球最多勝記録である。1994年から3年間オリックスの投手コーチを務めチームの日本一に貢献。1999年には中日ドラゴンズの投手コーチに就任しチームの優勝に貢献。ヘッドコーチを経て2002年、2003年と2年間監督を務める。2009年にはWBC日本代表チームの投手コーチに就任し2大会連続優勝に大きく貢献。現在はプロ野球評論家、沢村賞選考委員を務めている。
秋田県能代市出身。