愛知大学時代は、打者として注目されていた。大学の卒業後はNTT東海に入社。1998年のドラフトで中日ドラゴンズを逆指名し2位で入団。1年目の途中から勝ちパターンの一角を担い、最優秀中継ぎ投手賞を受賞。2004年からは抑えとして5年ぶりの優勝に貢献。アテネ五輪日本代表にも選出。 2007年の北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズにおいて、NPB史上初の継投による完全試合を達成。 2008年には北京五輪日本代表として出場。2012年にはセ・リーグ史上最多の5度目、また最年長記録となる最多セーブのタイトルを獲得。2017年からは球界最年長選手となり、山本昌が保持していたセ・リーグの最年長セーブ記録を42歳7ヶ月に更新したほか、6月には史上最長ブランクとなる12年ぶりの月間MVPに輝くなど、カムバック賞を受賞。2018年にはNPB初の1,000試合登板を達成。引退後は、野球解説者として活動中。
県立西尾東高校〜愛知大学〜NTT東海〜中日ドラゴンズ(1999年〜2018年)※1998年ドラフト2位
現役生活20年の中で、前人未到の通算1,002試合登板を果たした球界のレジェンド。入団当初から中継ぎ、抑えのポジションを任され、毎試合出番の有無に関わらず準備を続けてきました。試合の終盤、注目を集める場面での大きなプレッシャーの中で投げ、結果を出し続けてきた岩瀬のセルフマネジメントをお伝えします。
中日ドラゴンズ一筋、その20年間で6人の監督の下でプレーし、どの指揮官たちからも厚い信頼を得て活躍し続けてきました。闘将・星野仙一監督やオレ流・落合博満監督など個性的な監督たちの教えと、そこで岩瀬が学んだことをお話しします。