前全日本男子バレーボールチーム監督。1992年、バルセロナオリンピックに主将として出場し6位入賞を果たす。2005年、低迷を続けていた全日本の監督に就任。凄まじい量の練習や、日本代表選手としての誇りを持つことを選手に要求するなど、強烈なリーダーシップでチームを作り上げた。そして、2008年北京オリンピック世界最終予選にて、16年ぶりのオリンピック出場を勝ち取る。出場権を獲得した瞬間、コートに倒れこみ、男泣きした姿は日本中に大きな感動を与えた。座右の銘は、『驕兵必敗』
大阪商業大学卒業後、新日本製鐵(現、堺ブレイザーズ)に入社。日本リーグ(現、Vリーグ)ではセンタープレイヤーとして、新人賞、ベスト6(5年連続)、ブロック賞、スパイク賞など数々のタイトルを獲得。日本代表としても活躍し、1992年のバルセロナオリンピックには主将として出場。6位入賞に大きく貢献した。 現役引退後は、新日鐵、日本代表ジュニアチームの監督を歴任し、2005年に日本代表監督に就任。オリンピック出場を果たすため、非常に厳しい指導を続け、低迷を続けていた日本代表をフィジカル面、メンタル面ともに鍛え上げ、戦う集団へと変えていった。
2008年、北京オリンピック世界最終予選を見事に突破。自身が出場したバルセロナ以来、16年ぶりに日本代表をオリンピックへと導いた。また熱血指導の一方では、目標を達成するための緻密な計画も立てるなど、卓越した組織マネジメント力を持ち、企業からの講演依頼も多数寄せられる。
現在は、日本バレーボール協会シニアディレクター(強化委員長)、大阪商業大学教授。