元Jリーガーが車椅子バスケットボールでパラリンピック4大会連続出場。引退後の現在は、事故により奪われたサッカーを取り戻すため、指導者としてピッチに戻るという夢を追いかけている。
1971年8月13日生まれ。北海道出身。89年室蘭大谷高校から90年古河電気工業(株)に入社。バルセロナ五輪の候補にも選ばれ、91年にジェフ市原とプロ契約。93年Jリーグ開幕半年後に、交通事故により脊髄損傷、車椅子生活になる。リハビリの一環として始めた車椅子バスケットボールでパラリンピック日本代表となり、2000年シドニー大会を皮切りにアテネ・北京・ロンドンと4大会連続出場。
現在は、(株)インテリジェンス(人材総合サービス業)提供の障がい者専門人材サービス事業にて、自身の経験や視点を生かし、企業や個人に向けたアドバイスを行う”障がい者リクルーティングアドバイザー”として活動するとともに、障がい者のスポーツを多くの人たちに広めたいと「夢」「出会い」「感謝」をテーマに全国で講演会を行なったり、車椅子バスケットボール教室なども積極的に行なっている。09年3月には自身の実話が映画「パラレル」として公開された。