1983年10月生まれ。愛知県出身。小学2年生の時、母親の運転する車が交通事故に遭遇。
顔面を540針、口の中260針縫、大けがを負った。治療中にテレビで見たシンクロナイズド・スイミングに憧れ、翌年から競技を始めた。愛知県で初めて設置されたシンクロのクラブ「ザ・クラブピア88」の門をたたいた。顔面まひや視力障害、難聴などの様々な後遺症に苦しんだ時期もあった。
今も小学2年生以前の記憶がない。それでも希望を失わずにシンクロに打ち込んできた。07年スイス・オープンのソロで優勝。北京オリンピック前の日本代表選考会で、初めて日本代表に選出された。165センチの身長が、水の中では、より大きく見える、力強い演技力が評価され、オリンピック初出場を果たす。
練習の傍ら愛知教育大学で幼稚園から高校までの教員免許を取得したほどの努力家。
日本代表ではチームリーダーとしてチームを率いた経験を持つ。
2002年3月 愛知県日進高等学校 普通科 卒業
2006年3月 愛知教育大学 初等教育教員養成課程 卒業
2009年4月 愛知教育大学大学院修士課程 教育学研究科 修了
2009年4月 神戸大学大学院博士課程後期課程 人間発達環境学研究科 入学
2009年4月 大阪府高槻市医師会看護専門学校 非常勤講師
2009年9月 兵庫県西宮市立香露園小学校 非常勤講師
2011年11月 創価大学 非常勤講師
2012年2月 NPO法人 ママズハートクラブ 設立
交通事故による後遺症を克服し奇跡の生還を果たす。目も見えず耳も聞こえない状態。それでも必ずオリンピックに出られると確信していた。持ち前の明るさと前向きな性格で乗り越えた。夢は叶うまであきらめない。途中やめても、またやればいい。そうやって何度も立ち上がるものが人生の勝者となる。