兵庫県立社高校から1978年のドラフト2位で近鉄バファローズに入団。1984年に加藤英司・大原徹也との2対2の交換トレードで福井保夫とともに広島東洋カープに移籍。その後、1987年シーズン途中に永田利則とともに西山秀二(+金銭)との交換トレードで南海ホークスに移籍、安定した守備力でユーティリティプレイヤーとして活躍した。
1996年の引退後はホークス、ジャイアンツ、バッファローズでコートを務め、2013年からは正式にバファローズの監督に就任。2015年の退任後はオリックスのシニアアドバイザーへ就任する傍ら、野球評論家としても活動を行っている。
兵庫県立社高等学校(1978年近鉄バファローズ ドラフト2位)
近鉄バファローズ(1979年〜1983年)
広島東洋カープ(1984年〜1987年)
南海ホークス・福岡ダイエーホークス(1987年〜1996年)
(コーチ・監督)
福岡ダイエーホークス・福岡ソフトバンクホークス(1997年〜2009年
読売ジャイアンツ(2011年)
オリックス・バファローズ(2012年〜2015年)
(選手通算成績)
843試合
打率2割2分3厘、14本塁打、75打点。
(監督通算成績)
341試合202勝193敗11分。
勝率5割5 分1厘。