「ジャイアン」の愛称の通り豪快なホームランとその性格で多くのファンから愛された大打者。
1987年に愛知工業大学名電高校からドラフト2位で地元・中日ドラゴンズに入団。アメリカやドミニカへの留学などを経て、長い2軍生活を終えると、プロ10年目の1996年にようやくレギュラーに定着し、その年に松井秀喜との壮絶な争いを制し本塁打王を獲得。その後、オリックスを経て2005年からは楽天の創設メンバーとして活躍。創設期から主将を務めるなどチームを支え、2007年には39歳で本塁打王、打点王の2冠王に輝き、ベテランの粋に達してもなお第一線で活躍する姿は「中年の星」として大きな支持を集めた。2012年からは古巣である中日に復帰。翌2013年に現役引退。引退後はスポーツコメンテーターとして活動する傍ら、企業や学生向け講演の講師やレーサー、またスポーツカーやミニカー、腕時計など多方面の趣味を活かし活躍中。
1968年 愛知県知多市生まれ
1984年 愛知工業大学名電高校に入学
1987年 中日ドラゴンズに入団
1996年 39本塁打を記録し、初の本塁打王を獲得
2003年 オリックス・ブルーウェーブへ移籍
2005年 この年から創設された東北楽天ゴールデンイーグルスに入団
2007年 39歳にして自身2度目の本塁打王と打点王の2冠王に輝く
(両リーグでの本塁打王獲得は史上3人目)
2013年 中日ドラゴンズに復帰
2013年 27年のプロ野球生活に別れを告げ、現役を引退
2014年 野球解説者/スポーツコメンテーターとして活動を始める
TOYOTA GAZOO Racing 86/BRZ Raceのレーサーとしてモーターレース界に参戦
プロ野球生活の中で見てきた、伸びる選手の条件の一つ「欲」。 「スターになりたい」、「旨い物が食いたい」、「お金を稼ぎたい」、「女の子にモテたい」、「いい車に乗りたい」等、「欲」を大事にして目標にガムシャラに向かう事で自身の成長へとつなげて欲しい。多くの「欲」を叶えてきた山﨑から熱いメッセージを送る。
3度のクビを経験しても現役27年もの間、球界を渡り歩いてきた中で星野監督や野村監督など様々な監督を見て得た得た教訓などをお伝えします。 なかでも野村克也監督との出会いが「19年間何も考えずに野球してきた」自身の考えを大きく変えるきっかけとなり、11年ぶりのホームラン王を獲得できた秘話もお話しします。