12歳の時に骨肉腫により左下肢を切断、車いす生活に。しかし常に目標をもち競技に打ち込み、1996年にアトランタオリンピックの舞台までたどり着きました。車いすテニスの競技のことについてや、世界を相手に戦い続ける信念や挑戦する勇気、夢(目標)を持つことの大切さや困難の乗り越え方など、自身の経験を元にお伝えします。
12歳の時に骨肉腫により左下肢を切断、車いす生活に。1996年のアトランタ大会から6大会連続でパラリンピックに出場。2004年のアテネパラリンピックでは国枝慎吾選手と組み男子ダブルスで金メダル、2008年の北京パラリンピックでは男子ダブルスで銅メダルを獲得した。
2003年には国際テニス連盟(ITF)選出の「世界車いすテニスプレーヤー賞」を日本人選手として初受賞するなど、日本を代表するトッププレイヤー。
2016年、自身通算6回目のパラリンピック出場となったリオデジャネイロ パラリンピックにて、国枝慎吾選手と組み男子ダブルスにて銅メダルを獲得した。
12歳の時に骨肉腫により左下肢を切断し車いす生活に。世界への挑戦の姿勢を持ち続け16年リオ大会まで計6回のパラリンピックに出場し金メダル1回、銅2回獲得する等戦い続けてきました。競技についてや世界を相手に戦い続ける信念や挑戦する勇気、夢を持つ事の大切さや困難の乗り越え方など、自身の経験を元に伝えます
2020年に向けてスポーツに対する関心がどんどん高まってきています。車いすテニス競技の第一人者として、27年間の競技生活を通じての様々な国・地域での大会での自身の経験と共に、2020年に向けての日本におけるパラ競技の現状や問題点、期待などについてお伝えします。