幼いころの夢は、大工。20歳の時に大工デビューを果たし22歳で棟梁となるも、23歳の時に仕事中転落し脊椎を損傷、車いす生活になりました。そしてリハビリ期間中に偶然テレビで見た車いすテニスに釘づけになり、一度は諦めたテニスを再び始めることを決めました。仕事との両立の苦労やケガ、さらにはロンドンパラリンピック落選など常に困難と闘い、そして乗り越えてきました。たくさんの人の支えがあってこそ世界一のプレイヤーになりたいという次の夢を見つけ、努力を続け、リオパラリンピックではダブルスで4位という結果を残すことができました。
世界の高い壁と戦う中でも常に自分の可能性を信じ、感謝の心を持ち続けプロフェッショナルとして技術を磨き結果を出すこと。自分の夢は自分のものだけではなく支えてくれるみんなの夢であるということ。自身の経験を元に、夢を持つ事の大切さや困難の乗り越え方など、「夢の力」をテーマにお伝えします
大工として働いていた23歳の時に、建築現場の足場から落下し脊髄を損傷、車いす生活に。退院後すぐに始めた車いすテニスで徐々に活躍の場を広げ、現在は数多くの世界大会に出場するプロのプレイヤーとして活動。2016年リオデジャネイロパラリンピック ダブルス4位入賞。
最近では、スポーツ振興イベント「スポーツオブハート2016」のオープニングセレモニーへの参加や、日本ハムファイターズ岡大海選手の社会貢献プロジェクトに参画するなど、障がい者スポーツ振興に積極的に取り組んでいる。
2016年に旭川市体育協会スポーツ栄誉賞を受賞。同年、旭川観光大使に就任した。
2019年5月に現役引退を発表。引退後も障がい者スポーツの発展に貢献するための活動を行っている。
車いすテニスの競技を通じて人生において多くの事を学びました。世界と戦う中でも常に自分の可能性を信じ、感謝の心を持ちプロフェッショナルとして結果を出すこと。自分の夢は自分だけではなく支えてくれる皆の夢であること。自身の経験を元に、夢を持つ事の大切さや困難の乗り越え方など「夢の力」をテーマにお伝えします