飯島 健二郎 いいじま けんじろう
- リオデジャネイロオリンピックトライアスロン日本代表監督
- (公財)日本オリンピック委員会ナショナルコーチ
- (公社)日本トライアスロン連合常務理事
- トーシンパートナーズチームケンズ監督
- モチベーションアップ/ビジネス/芸能・文化・スポーツ
- 1959年6月13日
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- 全国
トライアスロン日本代表監督が語る指導論、教育論
日本大学を卒業後、教員となったが、怪我のリハビリで始めたトライアスロンで勝負することを決意し、退職。日本トライアスロン界のプロ第1号として活躍。現役引退後、世界での戦いを視野に指導者として活動を始め、トライアスロンが五輪正式競技となった2000年シドニー五輪以降、アテネ、北京、ロンドン、
リオデジャネイロの全大会で監督、コーチとして指揮をとり、北京五輪では井出樹里を5位入賞に導いた。また、アジア競技大会では2010年広州大会では男女ともに金・銀メダルを独占(4人出場の4人の完全制覇)、2014年仁川大会でも男女ともに金・銀メダルを独占、さらにミックスリレーでも金メダルを獲得し、5人出場の5人全員がメダルを獲得する完全制覇を成し遂げた。2010年シンガポールユースオリンピックでも佐藤優香が金メダルを獲得、2014年南京大会でも久保埜を5位入賞に導いた。
1959年6月13日。東京都出身。
1959年 東京生まれ。日本大学文理学部卒業。
1982年 日本大学付属第二高等学校の教員として赴任。
野球部顧問として甲子園に出場、ベスト16に進出。
1984年 水泳部顧問として、部創立以来のインターハイ出場に導く。
1986年 日本大学付属第二高等学校を退職し、プロトライアスリートを目指す。
1987年 プロトライアスリート第一号として活動を始める。
1988年 (株)ケンズを設立。(トライアスロン大会開催、チーム運営、スクール等)
1989年 チーム・ケンズを結成。現在の指導者、トップ選手として活躍している選手の多くを輩出。
1998年 現役を引退 。
2000年 シドニー五輪トライアスロン代表監督。
2004年 アテネ五輪トライアスロン女子ヘッドコーチ(男女総合監督・三宅義信氏) 。
2008年 北京五輪トライアスロン代表監督(井出樹里選手5位入賞)。
2012年 ロンドン五輪トライアスロン代表監督。
2014年 仁川アジア競技大会トライアスロン代表監督。
2016年 リオデジャネイロ五輪トライアスロン代表監督。
どう暮らすかより、どう生きるかを追い求めよう
強豪野球部の顧問として甲子園出場、その後教員免許を投げ捨てプロアスリートとして闘ってきた。
また、現役時代だけでなく、現在も日本代表を率いて世界を転戦してきた経験や、
引退直後は協会関連の仕事をしながら、「働く意味とは何か?」を追求し、
地下鉄工事の作業員として100日間働いていたエピソードもある。
勝つこと、強くなること~プロトライアスリート草分け・指導者として~
3つの種目を一人でこなす過酷なスポーツ「トライアスロン」は、練習をただ積むだけでなく、苦しさの中で冷静な判断をし自己との戦いに勝つ必要がある。
プロトライアスリート第一号の飯島氏が選手時代にどのように自信をつけたか、また国際人として通用する自立した選手を育てるために何を考え実践しているかお話しする。
ナショナルチームの監督は中間管理職~多様化するマネジメントスタイル~
連盟や選手、選手の所属チームなど様々な人々の間に挟まれ、その苦労は絶えない。
また女子トライアスロンチームの監督として女子アスリートのマネジメントという
難しい課題に立ち向かってきた。
まだ歴史の浅いトライアスロン界を選手・指導者として牽引してきた苦悩と、
いかに克服し立ち回ってきたかをお話します。
トライアスロン日本代表監督に学ぶ安全管理 ~トラブルを未然に防ぐ~
スポーツにケガはつきものだ。まして、水泳/自転車/ランニングを一人でこなすトライアスロンでは、一瞬の判断ミスや集中力の欠如が大事故に発展する。
それを防ぐ為には「予測する力」が大切であり、一流のトライアスリートには必須の条件だ。
その力を身につける思考法やトレーニングを、エピソードを交えて語る。
【メディア出演】テレビ
【その他実績】その他多数